正しい天丼の食べ方

丼は、今でもご馳走である。なんと言っても牛丼やかつ丼なんかよりも上品な感じがする。カレー丼、親子丼、ねぎとろ丼なども嫌いなわけではないけれど丼というやや悲しい、上品さには欠ける食品群の中では、天丼だけは別格と言える。

察官が容疑者を尋問するシーンでは「かつ丼」と裸電球のスタンドが必須アイテムとなっている。「お前も腹が減っただろう、かつ丼でも食うか?」が「ダブルチーズのピザパイでもデリバリーしてやろうか?」じゃ、ストーリーが完全にとぎれてしまう。もし、「天丼とってやるから食うか?」だったとしても、なんか間が抜けている。あそこだけは、かつ丼の出番と決まっているようだ。多分天丼の持つその上品さが容疑者とのセットではじゃまになっているのだ。

丼は牛丼やその他とも全然マッチしない。牛丼は”つゆだく”とかの方法もあるように丼めしを食べながら、自然に上に載った具材が渾然一体となって口に運ばれる。親子丼なんかもそうだ。半熟のやや濃い目の味が染みた玉子がトロリとごはんにからまって、一口ごとに完成された形で口にすることができる。それも大した努力や作業を伴わずに。

ころが、天丼となるとやや様相が変わる。たった2本の車海老の天ぷらをおかずに、大量の丼めしを食べなければならない。したがって、そこには極度の緊張と、計算能力が要求される。おおまかな目安は、もちろん1本目の海老天を食べ終わったときに、ごはんも半分食べ終わっていたいところだ。この計算が狂うと、海老のしっぽだけで何口ものごはんを食べるという、およそ丼物の利点を無視した寂しい食事となってしまう。したがって、この緊張感が辛すぎて天丼を食べる機会が極端に減ってきているのだ。できることなら、ごはんの方を早めに食べていければ、それは理想的な結果となる。最後の一口は必ず海老天になるように心掛けているくらいだから。高等な技としては、海老のしっぽでもって、丼に残った米つぶをきれいにすくいとる方法などもお勧めだ。牛丼などよりも、ずっと頭を使わなくてはならない。

しぶりにランチタイムに天丼屋に入ってみた。これは勇気がいることなのだ。割と有名な店であったがランチタイムでもあり、知らないおやじと同席させられた。じっと見ていると、知らないおやじは天丼の食べ方の鉄則を全く無視してさっさと1本目の海老を平らげてしまった。このときにはごはんは、ほんの一口しか食べていない。このペースではとんでもないことになるかもしれない。その内、2本目の海老にも手を掛けた。よっぽど注意しようかとも思ったけど、よけいなことを言うと殴られる可能性もあるので我慢した。しかし、もう自分の食事どころではない。おやじの心が読めない。案の定、ついに2本目の海老を食べ終わったときには、半分以上のご飯が丼に残っているではないか。なんという不始末。天丼が台無しになってしまった。不機嫌になった私を尻目におやじは、ためらいもなく、側に置いてあった味噌汁をそのごはんにかけた。そしてお茶漬けのごとく一気に丼めしをすすったのであった。やられた、味噌汁ぶっかけめしだ。

然とする間もない。はしを持つ手を止めたままの私をおいて、おやじは勘定を済ませるとのれんをくぐって出て行ってしまった。なんなんだ。上品なはずの天丼で、あんなまねをするなんて。しかし、一度だけという条件を自分に約束して、本日私も最後は味噌汁ぶっかけめしにしてしまった。