いいかげんな寿司屋
その日は、午後からクライアントへの訪問を予定していた。最寄りの駅に着いたところで12時。約束は13時。ちょうど昼食をとるにはぴったりの時間となった。
しかし、昼食がとれる店はどこも満員。1時間あればそんなに心配することもないだろう。私は、久しぶりに寿司屋ののれんをくぐった。寿司だと本当は苦手なネタもあるのだが贅沢は言っていられない。メニューを見たらランチタイムは「にぎり」と「ちらし」の2種類だけ。これも仕方のないところだろう。
私は、初めての店でもあるので「ちらし」を注文した。「にぎり」だと当たりはずれが多すぎて危険である。それにカウンターの隅にいくつかの「にぎり」がすでに用意されている。寿司なんていうものは注文を聞いてからにぎるべきであり、こんな店は信用しないことにしている。ほとんど同時に入店した隣の男性も「ちらし」と一言。当然の判断であろう。
ここで、店員の思いがけない言葉が。「にぎりはすぐに出せますが、ちらしだと少しお時間をいただきます。」案の定、にぎりは作り置きしているわけだ。私は迷わず、「ちらし」で押し通した。時間が多少かかったって、いつにぎったのかわからないものを食べさせられるよりはましだ。隣の男性もそうするものだと思ったが、意外にもそれじゃ「にぎり」でいいと注文を撤回した。ふうん。相当急いでいるのかなと思ったが、出されたお茶をすすりながら、新聞を読んでいるうちに忘れてしまった。
ほどなく、「お待たせしました」の声と一緒に、私の前に「ちらし」が置かれた。おお、これは作り置きしたものではない。シャリもネタもピンとしているし、上等なわさびもチョコンと乗っている。その香りがまたいい。ルンルン気分で食べ始めた私を隣の男性が睨み付けた。そうだ。この男性には早いはずの「にぎり」がまだ出されていない。カウンターの隅を見ると、さっきまでたくさん作り置きしてあった、「にぎり」が跡形もなくなっている。他の客に出されてしまったらしい。私がゆっくりと「ちらし」を平らげる間、ついに隣の男性に「にぎり」が出されることはなかった。