ダンプカーに撥ねられた
私の4歳の頃、1954年当時はまだ自動車の普及はそれほどでもありませんでした。自家用車など持っている家庭は数えるほどで、車といえば多くは商業車かトラック、ダンプカー、バスなどでした。西東京市では市道でさえまだきちんと舗装されておらず砂利道が多かったのです。
4歳当時の私はやたらとボール遊びが好きでした。まだ野球やサッカーを本格的に興ずるわけではないのですが、父に買ってもらったやや大きめのソフトなゴムボールを弟と投げ合って遊んでいました。なにが楽しいのかまるで犬と同じような行動です。犬も飼っておりましたのでそれこそ自分が犬になったような感覚で夢中になってボールを追いかけるのです。
この時も弟が投げたボールが私の頭を大きく超え両手を伸ばしてもまったく届かない暴投となりました。「下手くそ」と大声でどなりながらボールを追いかけます。ボールは転々と転がり私は私道から市道の交差点へと辿り着きます。私の目にはボールしか見えていません。今でも子供のアルアルです。親は十分な注意と指導が必要です。私はボールを追って不覚にも広めの市道へ飛び出してしまいました。その時に右手からは大型のダンプカーが結構なスピードで迫っていました。「アッだめだ」子供心にも瞬時に状況が把握できました。目を閉じて覚悟を決めます。「なんで道路に飛び出してしまったのだろう」という後悔もしています。ほんの0.3秒くらいの時間なのにスローモーション映像のように感じていました。
ダンプカーのけたたましいクラクションの音が耳をつんざき、砂利がコツンと跳ねて頭に当たるのがわかりました。しかし次の瞬間誰かが私の首の後ろの襟をつかんで空中に大きく投げ飛ばしました。運動靴のかかとがダンプカーの屋根に少しだけ当たりましたが私は2メートルも空に浮いて、みごとに猛スピード通り過ぎるダンプカーを交わしていました。ただしお尻から道路に落ちたのでかなりの打撲を負いました。子供だから泣くのが普通ですがなぜかきょとんとしてしまいました。あまりの恐怖に声も出ないのです。「でも死ななかった」完全にぶつかったと思ったのに誰かが私を放り投げてくれたのです。そうだ、誰が助けてくれたのだろうかとあたりを見渡しても誰もいません。弟が尻もちをついている私のそばまで走ってきて泣きべそをかいて私を見ています。そして衝撃的な一言を「黒い服を着た男の人が現れて突然私を投げ飛ばした」「その瞬間にいなくなってしまった」と。
歳をとってからこの話を弟としても彼は鮮明に当時のことを覚えていました。この事件のだいぶ後に歌手ユーミンのヒット曲に「小さい頃は神様がいて不思議に夢をかなえてくれた」という歌詞が出てきて、私たちは誰かに守られているのかもしれないと思ったものです。